ペットシッターの春名です。先日の読書会には9名のご参加があり、そのうち4名が初参加、しかも全員20代という若さあふれる会となりました。初参加の方もふくめ、皆さん積極的に発言されて、かなり盛り上がったと思います。
演劇経験者の方が2人もいらっしゃって、その方面からの貴重な意見をお伺いすることができました。“普通の”演出家というのは、ワンマンで厳しくて俳優達を怒鳴って追いつめ、芸術以外のことは一切知らん、というタイプが多いかと想像していたら、本当にそんな感じだということがわかりました。だからコミュニケーションの手段としてそこまで演劇を推すこともないのではないか、演劇を嫌いな人もいるだろうし、という意見は、正に演劇経験者としての生の言葉だったと思います。
常連出席者のIさんが、ご自身が受けた研修でこの本を使われていたのも驚きでした。文中に出てくるロールプレイなどの演習を実際におこなったことがあるそうです。今回、そういった様々な分野での経験者が集まって話をできたのは、とても有意義なことだったと思います。
議論の話題に上ったキーワードの一つは、「コンテクスト」でした。通常、「文脈」などと訳され、ある言葉の裏に潜む背景、別の意味合いなどという感じで使われます。
たとえば高校生に向けて演劇の授業をおこなうとします。電車の中で、たまたま隣り合った人と会話がはじまるという想定です。ここで平田氏は、「旅行ですか?」と問いかけるセリフを高校生に言わせようとするのですが、なかなかうまく発話できません。これが平田氏には理解できなかったそうです。高校生たちに聞いてみると、「私たちは、初めて会った人と話したことがないから」という返事。ああそうか、と平田氏は納得します。
あるいはイギリスの上流階級では、むやみに人に話しかけないというマナーがあるそうです。だから、イギリス人がこのセリフを話す場合、(1)この人は正当な教育を受けていない、(2)貴族の階級を捨てて放浪の旅に出ている、(3)マナーを破ってまで話しかけたいほど隣の人に関心がある、などなど、なんらかの意味合いをつけないと不自然になってしまいます。このように、短いセリフ一つとってみても、その裏には様々な文化的・習慣的事情が含まれています。これがコンテクストです。このコンテクストを理解しない限り、他人のふるまいや考え方が理解できないということになります。
それでは、こんな例はどうでしょう。同じく本書に出てくる、「銀のサモワールでお茶を飲みませんか?」というセリフ。チェーホフという、ロシアの文豪が書いた戯曲です。普通の日本人であれば「サモワール」という言葉に馴染みがないため、イメージができないでしょう。だから俳優がこのセリフを発話するのに戸惑う、というのは僕らにも理解できます。(ちなみにサモワールとはこういうものです。)
このように、その言葉の持つ文化的背景が大幅に違っている時には、コンテクストの違いは明確であるため、かえって容易に理解できます。問題は、「旅行ですか?」というような、一件何の変哲もないような言葉の中に潜む、コンテクストの微妙な「ずれ」のほうなのです。こうした「ずれ」は日常の中にいくらでも潜んでおり、これを理解できるか否かが、コミュニケーションの重要なポイントになります。
この、コンテクストを読まない(読めない)という件については、最近の映画やドラマでやたら説明しすぎるからでは、という意見が出ました。僕が思うに、セリフや状景で直接語られない部分にこそ面白みがあると思うのですが、確かに最近の映画などではやたらと説明口調なセリフだったりナレーションが入ったりして、興ざめすることはあります。こうした文化に慣れてしまうと、現実社会での上記のようなコンテクストを理解する力が養われないのかもしれません。
若い方が多かったので、若者の抱えるコミュニケーション不全というか、「会社の飲み会って参加したほうがいいの?」といった具体的な話も飛び交いました。この点、二つ目に多く語られた「ダブルバインド」という言葉がキーワードになっています。会社では、「輪を乱すな」と言われつつ「個性を出せ」とも言われます。こういう相反する考え方を同時に押しつけられ、どうしたらいいのかわからない。これがダブルバインドです。新入社員ばかりではなく、全年代に渡って苦しめられている概念ではないかと思います。
というわけでこの本、実に多岐にわたる問いかけがされており、そのぶん、「結局何が言いたかったのでしょうか」という意見もありました。ですので僕はぜひ、二度三度と読まれることをお勧めします。僕自身、二回目に読んだ時にはかなり深く納得できました。ただ、ポイントがたくさんあり過ぎるため、読書会での議論も深まる前に終わってしまった印象があります。僕としても、対話と会話の違い、家庭でのコミュニケーションのあり方など、まだまだ話してみたいテーマはたくさんありました。
最後に、かなり毛色は異なりますが、演劇で誰かを演じることがその人物の深い理解に役立つ例として、映画をひとつご紹介したいと思います。ドキュメンタリー映画です。僕が去年見たなかで衝撃度ナンバーワンの作品でした。
・「アクト・オブ・キリング」
1960年代のインドネシアにおいて共産党員の大虐殺がおこなわれ、100万人規模の人間が殺されました。当時の実行者たちは今も英雄としてあがめられ、のうのうと暮らしています。そうした“殺戮者”たちにインタビューをおこない、当時の出来事を彼ら自身に演じさせるというとんでもない内容が、この映画です。
自分が犯した殺人を、演技として再現する。さらにまた、自分によって殺された人々を自らが演じてもみせます。アンワルという名の主人公は、かなりの高齢で、見た目には穏やかで優しい老人に見えます。でも彼こそが実に千人もの人間を殺した当時の実力者なのです。映画の終盤、強烈なシーンが出てきます。彼が人を殺した拷問シーンを自らが被害者役として演じ、そのフィルムを自分の孫と観る、という場面です。僕はいまだかつてこんな忌まわしい映像を見たことがありません。
そうして演技をつづけるうち、やがて被害者の心情を彼は理解していきます。結果、彼の心と体に驚くべき変化が訪れます。ラストのおぞましい姿を、地獄と見るか、救いと見るか。ぜひこの作品を見て、感じてください。
この記事を書いた人
- 読書会メンバーの中では年長組に入りますが、毎回とても楽しく過ごさせてもらっています。スロース読書会は、人付き合いもおしゃべりも得意ではない僕さえ包み込んでくれる、心地のよい居場所なのです。
ブログでは、読書会関連として、本の話題を中心にお届けする予定です。ただ、極端に遅読なため、最新本は扱えません。僕のお気に入りの本を、なんとか現代の話題とリンクさせ(ることを目標にし)つつ、映画やその他の話題にも触れていきたいと思っています。
ちなみにペットシッターとは、飼い主さんのご自宅で、ペットのお世話をする仕事です。1967年、兵庫県に生まれ、名古屋での25年を経て、岡崎にたどり着いた今。近隣市を駆け回り、いろんなペット達と触れあう、ふかふかな西瓜糖の日々。
・お仕事サイト「ペットシッター・ジェントリー」
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・Facebook(個人用)
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