今さら人に言えない、でも言っちゃう、「魔法少女まどか☆マギカ」論!

まどかマギカ1

ペットシッターの春名です。だいぶご無沙汰をしてしまいました。3月に長めの休暇をとり、ドイツに行ってきました。読書会に参加以来初めての欠席になるかと思いきや、ちょうど3月は読書会もお休みだったので、皆勤が途切れずに済みました。

4月の課題図書「新戦争論/小林よしのり」では、平和や戦争、国家をどう捉えるのかが語られ、続く5月の「いま、幸福について語ろう/宮台真司」では、幸せとは何かについて意見が交わされました。二冊のテーマはうまく有機的につながり、実りのある読書会になったかと思います。

宮台氏の著作においては、脚本家の虚淵玄(うろぶち・げん)氏との対談部分に議論が集中しました。たしかにそこで語られる言葉の中には、示唆に富む内容が含まれていました。虚淵氏は、あの「魔法少女まどか☆マギカ」の脚本を手がけた方です。僕はテレビシリーズを一度見たことがあったのですが、これを機会に再度見直してみました。

魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]この作品がなぜここまでヒットしたのか。僕はまず第一に、リアリティラインを揺るがした点にあると思っています。「リアリティライン(フィクションライン)」とは、映画監督の三宅隆太氏がよく使う言葉ですが、いわば「作品内における暗黙の共通了解」というものです。これはぜんぜん難しい話ではなくて、たとえばSFでテレポーテーション(瞬間移動)を描く作品はできるけれど、推理小説の密室殺人において、犯人がテレポーテーションで逃げた、というオチはないわけです。また、「ドラえもん」でスネ夫がジャイアンを毒殺したり、のび太の両親のHシーンが描かれたりすることも絶対にあり得ません。それぞれの作品の中で、これはアリだけどこれはナシ、という暗黙の了解のようなものがあって、これが崩されるようなことがあれば(つまり上記のような禁じ手の展開が起きたとしたら)、見ているほうは混乱するわけです。

ドラゴン特攻隊 [DVD]昔、劇場で「ドラゴン特攻隊」という映画を観たことがあります。ジャッキー・チェン主演で、彼が率いる仲間が敵と戦うお話でした。作品途中までは、たとえば爆弾が爆発しても、髪の毛がチリチリになって顔が真っ黒になってビックリ、というような、要するにコテコテのコメディだったのです。ところがそうして楽しく見ていたら突然、仲間の一人が床下から刀で体を貫かれ、ごぼごぼ血を吐いて死ぬ、という展開になりました。まだ子供だった僕はこのシーンでひどく混乱し、気持ちが悪くなりました。今でもトラウマのようにその嫌な感じが胸に残っています。こんなコメディでそうした悲惨なシーンが出てくるのは、僕にとってはリアリティラインを外れることだったのです。

ホーリー・マウンテン [DVD]そしてもちろん、この混乱を意図的に起こそうとする作品もあります。殊能将之氏の「黒い仏」、クリスティの「アクロイド殺人事件」などもこの範疇に入るだろうし、僕が最近見たアレハンドロ・ホドロフスキー監督の映画「ホーリー・マウンテン」のラストなどもそうです。こうした作品はたいがい「問題作」というレッテルを貼られ、鑑賞した人が「馬鹿にするな!」と怒り出したりします。

そして「まどかマギカ」も、このリアリティラインを揺るがすことによって話題になりました。第3話のラストです。「まさか○○が△△するとは!」ということで、見ていた者はどよめいたのです。たしかに本作を子供向け魔女アニメの一環で見ていたなら、この展開は驚愕だったことでしょう。禁じ手すれすれの衝撃的な「つかみ」が、ヒットの大きな要因だったのは間違いないと思います。

ところで僕が最初に見たのは、そうやって話題になってからだいぶ経った後のことでした。上記のような衝撃を含めたおよその情報は頭に入っていましたし、特別ひどい禁じ手だとも思わなかったので、意外にすんなり最後まで見られました。当時の僕が抱いたのは、ちょっと頭でっかちな作品だなあ、という感想でした。つまらなくはないけれど、作品鑑賞のうえで気になる要素がいくつか出てきて、のめりこむほど楽しむには至らなかったのです。

まどかマギカ1まずは、キャラ萌え狙いの絵柄がどうにも馴染めなかったこと。似たような顔立ちで、ちょっと髪や服の色、デザインを変えた女の子達が並んでいるため、どうにも個性が際だちません。絵の巧い女子高生あたりでも描けそうな絵柄です。まあそれでも彼女らが勢揃いすると、戦隊感が出てそれなりに高揚することは認めます。映画版「新編・叛逆の物語」ではこのあたりがうまく強調されていて、おなじみのあの子たちが帰ってきて一緒に戦っている、その“萌え”感は、ファンならずともワクワクさせられる映像ではありました。

それよりもっと僕が気になったのは、魔法少女になる見返りに「なんでも望みが叶う」という設定です。これは物語を壊しかねない、非常に危険な設定です。たとえば誰かが「魔法少女も魔女もいない平和な世の中になる」と望んだらどうなるのでしょう。「死んだ人が全て甦る」「魔女に毎回必ず勝つ」「ソウルジェムの概念がなくなる」「キュゥべえ、お前消えろ」などなど、なんでこういう望みを提案しないのか、見ていて歯がゆくてしょうがない。だいたい、「なんでも望みが叶う」なんて言っておきながら、まどかの願いを聞いたキュゥべえは戸惑い、特別な理由づけがあってぎりぎり何とか叶えられるに至る。つまりは制限付きの願いなのだから、その制限の部分をはっきりさせてほしいと思うのです。

もうひとつ気になったのは、時間を自由に行き来できるという特殊能力で、こんなことができるのなら何でも解決できてしまいます。ここで時間を止めればいいのに、とか、時間を遡ればいいのに、などと思ってしまうことがノイズになって、物語を素直に楽しめなくなる。登場人物達が、こうして当然考えつくようなやり方をとらないことが、制作者側のご都合主義に思えてくるのです。だったらもっと明確なしばりをもうけて、「こういう範囲での望みに限る」「この能力はこういう制限がある」としたほうがすっきりする、なんて思いながら、当時は見ていたのです。

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語(通常版) [DVD]それが今回、映画の「新編・叛逆の物語」まで通して見てみたところ、初回よりも楽しむことができました。リアリティライン云々というのは作品の味付けに過ぎず、細かい設定にも目をつぶり、見るべきは作品全体を貫くテーマだったのです。物語の根幹をなすのは、世界救済を願うまどかと個人救済を願うほむら、彼女らの対立構造です。テレビシリーズだけでは絵空事の物語に過ぎなかったものが、映画版でほむらの物語が語られることにより、ようやく壮大な世界観が見えてきます。そして、その世界観には現実社会に通じるテーマが秘められていて、そこが今回、より深く腑に落ちたのでした。

ただ、テレビシリーズに増して映画「新編~」は複雑なストーリーになっているので、一度見ただけでは理解が及びません。これは二度、できればテレビシリーズを通じて二度見ることをお勧めします。果たして私は、まどかとほむらのどちらの考え方を支持するのか。そう自問する中で、自分にとっての幸せとは何かが、おぼろげに見えてくるかもしれません。

僕なりの幸せを考えるとすれば、話は4月の読書会に戻ります。国家とは何か、という議論が起きたときに僕は、「自分から家族、そして親族や近隣へと広がっていった先にあるもの」という見解をお話ししました。だから、自分や家族を犠牲にして国家を守る、という概念が僕には理解できません。守るべきは自分であり自分の家族であり、それを大きく広げていった先に見えてくるのが国家だと思うからです。

そして同様に、幸せを考えるとすれば、やはり自分と自分の家族から、となります。たとえば、毎日だらしなく酔っぱらって暴れている奴が自分の母親に向かって「かあちゃん、幸せにしてやるぜ~」と言ったところで、「お前がまずしっかりしろよ」と突っ込まれるのがオチです。人を幸せにするには、まずは自分がちゃんと幸せになることを考えなければ、そもそも何がその人にとって幸せなのかすらわからない。そして、自分の家族すら幸せにできない人が、世界を救うことなどできるはずがない。続けて考えていけばそこに行き着きます。だから僕は、無邪気に世界平和を願うまどかに現実感を感じられず、邪の道に染まっても自分の望みを叶えようとするほむらのほうに肩入れしてしまいます。

同様に僕は、自分や自分の家族を顧みずに社会活動に注力する人を信用しません。なぜだか社会貢献、社会活動をしなければいけないと思っている人は多いようですが、僕がいつも思うのは、もっと身近なところに目を向けるべきだということ。働いている人なら、自分のしている仕事が、小さいことだとはいえ何か社会の役に立っているはずです。つまり、そもそも毎日、自分の仕事をするということで社会に貢献している。だからその仕事を真面目にやっていけばいい。学生だって、将来仕事を持つために勉強をしているのだとすれば同じことです。そして、自分の小さな仕事すら満足にできないのだとしたら、大きな社会貢献などできるはずがない。だから僕は、ボランティアもいいけれどまずは自分の仕事をしっかりやろう、それが既に社会貢献になっている、そう思って日々暮らしています。

さて、長くなってしまいましたので、美術館巡りと美食に明け暮れたドイツの旅については、また次回にでもご紹介したいと思います。

この記事を書いた人

春名 孝
春名 孝本と動物と珈琲好きのペットシッター
読書会メンバーの中では年長組に入りますが、毎回とても楽しく過ごさせてもらっています。スロース読書会は、人付き合いもおしゃべりも得意ではない僕さえ包み込んでくれる、心地のよい居場所なのです。

ブログでは、読書会関連として、本の話題を中心にお届けする予定です。ただ、極端に遅読なため、最新本は扱えません。僕のお気に入りの本を、なんとか現代の話題とリンクさせ(ることを目標にし)つつ、映画やその他の話題にも触れていきたいと思っています。

ちなみにペットシッターとは、飼い主さんのご自宅で、ペットのお世話をする仕事です。1967年、兵庫県に生まれ、名古屋での25年を経て、岡崎にたどり着いた今。近隣市を駆け回り、いろんなペット達と触れあう、ふかふかな西瓜糖の日々。

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