ペットシッターの春名です。先日、6月度の読書会が開催されました。参加者は僕を含めて6名で、著者の星野さんに傾倒されている方、少し前に星野さんを知ったという方、今回まったく初めて読まれた方、スタンスはそれぞれでしたが、かなり深く掘り下げたお話ができ、とても興味深い読書会となりました。
■旅をする木/星野道夫
まずは、文章の素晴らしさが語られました。写真家なので文章は本業ではないはずですが、実に自然で優しく、生き生きとした文章に驚かされます。「読んでいると、いい意味で眠たくなる」と表現された方もいらっしゃいました。確かに心地よい文章は、眠りに入る前に読むのは最高かもしれません。
僕が星野さんに強く惹かれるきっかけになったのは、一本の映画でした。「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」と呼ばれる一連のドキュメンタリー作品の、第三番に星野さんが登場します。映画監督の龍村仁氏の著書「魂の旅 地球交響曲第三番」でも星野さんのことが語られますが、その中に印象的な言葉がありました。星野さんは、誰かが日本でヒグマに襲われて亡くなったというニュースを聞くと、不謹慎だけれどほっとする、といいます。この日本で、まだそうしてヒグマとの緊張感を持った関係が残っていることに安心する、というのです。非常に興味深い言葉です。普通ならそうした危険な事故については批判されてしかるべきなところを、星野さんは逆に、いいものとして捉えている。ここに、彼の自然に対する謙虚な姿勢がうかがえます。自然を、排除すべき対象、乗り越え制圧すべき対象として捉えるのではなく、畏怖すべき対象、受け入れるしかないものとして捉えているのです。そして、結果として星野さん自身が熊に襲われて亡くなるわけですが、星野さんはそれで幸せだったんじゃないかという意見が出ました。
熊の話ばかりではなく、人の歴史とは、自然をいかに克服するかを探る歴史だったと言えます。そうやって、どんな状況であってもいつでもどこでも快適に過ごせる環境を手に入れた “つもりになっている”。ところがその一方で、生きる根元的な喜びが忘れ去られていきます。こういうことを書いていると説教臭くなってしまいますが、星野さんの言葉で語られると、まったくそんな嫌みはなく、自然に受け止めることができます。美しくて優しい言葉が並んでいますが、それらは決してキレイキレイなだけの文章ではありません。経験から来る洞察に裏打ちされた言葉は、読む者に安らぎを与えると同時に、大事なことを考えさせてくれるきっかけにもなります。
自然は脅威である、とする感覚は、経験してみないとなかなか実感できません。僕は昔、アフリカのタンザニアでサファリをしたことがあります。サファリは普通、5~6人の客をガイドさんがワゴン車で連れて行ってくれるものですが、そのとき僕は一人でレンタカーを借り、動物保護区に入りました。しばらく走ると、象に出会いました。象自体は珍しくないのですが、そのとき見たのは、50頭ほどの大群でした。車を停めて観察していると、どうやらそこが彼らの通り道だったようで、車のすぐ前を、バンパーをこするほどの距離で象が歩いていきます。そのうちの一頭が車の前で止まりました。子象もいるので、群れの中の象はとても危険です。本気で突進してきたらRV車でも吹っ飛ばされてしまいますし、実際にそうした体験談を読んだこともあります。一気に緊張感が走ります。エンジン音が刺激するかもと思い、エンジンを切ると、周囲にまったくの静寂が訪れました。象はまだこちらをにらみつけています。恐ろしさに身がすくみ、息も継げないほどでした。そうして数分がたったでしょうか。やがて象は向きを変え、歩き去っていきました。ようやく解放されて一息つきましたが、この時の緊張感は忘れられず、旅の一番の思い出となりました。このとき僕は確かに恐怖を感じていましたが、それは同時に、とてつもない喜びでもありました。
(参考)この時の動画がネットにアップしてあります。
■象との対峙シーン(春名撮影)
本書を読むと、人はどうやって生きてもいいのだと実感し、勇気が出てきます。たとえば、リツヤベイというまったく人の住まない土地で22年間を過ごした男がいます。一年に一度だけ町に降り、一年分の新聞をもらって一日分ずつ読む生活を送っていました。星野さんはこうした生き方に感銘を受けるといいます。
とかく今の世の中では、人と人との絆が重要視されます。でも、星野さん自身、たった一人で一ヶ月間、マイナス20~30℃の荒野で過ごし、人にまったく会わないこともあります。それでも、のちにその写真が発表されて日本に住む僕らの心を動かす、こうして人と人は繋がっているのです。被災地でバケツリレーをするような、手と手を取り合って何かをすることだけが絆ではないのです。
星野さんは高校生の頃、単身アメリカを旅して歩きます。その経験がアラスカへと繋がっていくわけですが、そもそも普通の高校生はそんなことをしないわけで、興味のあることは何でもやってみる、行きたいところへ行ってみるというこの姿勢や感性、行動力はどこから来るのだろうと不思議になります。
死についての考察も読みどころです。通常、死とは忌み嫌うものであり、人は死を遠ざけ、考えないようにして暮らしています。ところが星野さんは死を否定しません。死を見つめることで、生命の輝きを呼び覚ましていきます。
〈生命体の本質とは、他者を殺して食べることにある〉
星野さんはそう言い切ります。そうして生命は循環しているのだと。
星野さん自身、様々な人の死に直面し、いろんなことを考えます。登山中の事故で亡くなった友人、危険な山岳地帯を飛び回ることで命を落とすブッシュパイロット。彼らの死に際し、「こんな危険な生き方をしてはいけない」と思うのではなく、「自分は自分の好きなことをやっていこう」と決意する、その姿にも共感を覚えます。
死と並んで星野さんがよく語るのが、孤独と向き合う大切さです。周囲何百キロ、誰も住んでいない土地で、一ヶ月間たった一人でカリブー(トナカイ)の訪れのを待つというのはどういう心持ちでしょう。普通の人なら気が狂いそうになるほどの孤独を感じるはずです。それでも、そうした痛いほどの孤独と向き合った先に、不思議な心の安らぎを得る、あるいは、情報からまったく遮断された世界に身を置くことによって、人は想像力を働かせるのだと星野さんはいいます。そうした情報の少なさ、孤独というものには、とてつもない力が潜んでいるのだと。
読書会で話をしながら、孤独とはつまり、自由と言い換えられるのではないかと思いました。星野さんが高校時代に単身アメリカへ渡ったとき、〈今夜どこにも帰る必要がない、そして誰も僕の居場所を知らない。(中略)僕は叫びだしたいような自由に胸がつまりそうだった〉と書かれています。孤独と確かに向き合ったとき、人は心身両方の自由を得られるのではないかでしょうか。
印象的なエピソードは、他にいくつも出てきます。たとえば、星野さんが友人と語らう一場面。美しい景色、夕焼けや星空を見て、それを愛する人に伝えたいと思ったらどうするかという話の中で、星野さんは別の知人の言葉を引きます。言葉や文章、写真や絵で伝える方法もあるけれど、それよりも、〈自分が変わってゆくことだ(中略)その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思う〉と言うのです。思わず、はっとさせられる表現です。
最後に収録された「ワスレナグサ」の章も、本当に素晴らしい。子供が生まれた知らせを受け、これまでの生活を自然描写とともに振り返るもので、人生における大切なもの、星野さんの思いなどがここに集約されている気がします。
読書会では、いつになく深い議論が交わされた気がします。本書を愛読されていた方が、別の本を紹介してくださいました。「Coyote No.40 特集:谷川俊太郎、アラスカを行く」というもので、詩人の谷川俊太郎さんがアラスカを旅した模様が収められています。谷川さんは、星野さんと交流のあったクリンギット族のボブ・サムさんと会い、星野さんについて語り合ったそうで、全員でしばらくこの本を読みふけりました。
とにかく、時代に流されない、生きる上での大切なことがたくさん詰まった本です。誰にでも強くお勧めできる、数少ない本の一つです。
この記事を書いた人
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読書会メンバーの中では年長組に入りますが、毎回とても楽しく過ごさせてもらっています。スロース読書会は、人付き合いもおしゃべりも得意ではない僕さえ包み込んでくれる、心地のよい居場所なのです。
ブログでは、読書会関連として、本の話題を中心にお届けする予定です。ただ、極端に遅読なため、最新本は扱えません。僕のお気に入りの本を、なんとか現代の話題とリンクさせ(ることを目標にし)つつ、映画やその他の話題にも触れていきたいと思っています。
ちなみにペットシッターとは、飼い主さんのご自宅で、ペットのお世話をする仕事です。1967年、兵庫県に生まれ、名古屋での25年を経て、岡崎にたどり着いた今。近隣市を駆け回り、いろんなペット達と触れあう、ふかふかな西瓜糖の日々。
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